うえだ の なにか

Idea sketchのようなもの

αx=α, β+x=α-1, β+0=β

秀才は天才に二歩追いつけない方程式(自論)

そして凡人は努力しなければ凡人でしかない方程式でもあります。

 

 自分は天才ではないことは当たり前のことで、それでもいつまでも秀才になれないのは結局自分を信じられないのが一番大きいんじゃないかと思います。

 完成した作品に満足できなければ、それはイコール自分の廃棄物でしかなくて、そんなものは人様に見せられるようなものではない。そうならない為に、誰よりも自分が愛せる作品を作りたいと思うのに、貪欲な自分には完成品で満足できないことが目に見えている。だから、完成前に作品の時を止めてしまうのが一番手っ取り早く、一番綺麗だという自論が根強く残ってます。

 

 自分という人間がどんな人間なのか、正確に定義付けられたのはきっと祖母が死んだ翌日。その日、言葉は薄っぺらなものだと自分の中で確立された。言葉は死んでただの音に成り下がったし、自分が努力しない免罪符にもなった、それは自分が出す音に影響を及ぼした。

 

 楽器は凄いと思うのは、音に人の性格が出るからだと思います。高校くらいの時の自分の音は自分の中では笑えるくらいに自分らしい音だなと今聞いても分かります。凄く思春期らしい音出してますw

 もっとその自分らしさを受け入れて、言葉の素直さを受け入れられていたら、また世界は違ったかもしれません。でも今言えることは過去を振り返ることがあっても、それを後悔にはしていない自分を一番信じて、目標なり作品なりを完結させる努力をしなければ、秀才にすらなれないということです。

 

 一向に作品として何かを完成させられない自分を分析し、いつまでも用水路でザリガニ釣ってる自分を卒業して、そろそろ大人にならなければとちょっと感傷的になって、感情を埋葬したくなった寅三つ時でした。

 

 火葬、土葬、水葬とかあるけど、ネットの海に沈めるのはネット葬とかでいいんですかね。恥ずかしくなったら下げます。